プロフィール

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活発な子ども時代

父は高校の体育教師、母は幼稚園の先生で、二人とも体育大学の出身という共働き家庭で原のり子さんは育ちました。
子どものころは、外遊び、ゴムとび、缶蹴りなどに熱中し、暗くなるまで外で遊ぶ活発な少女でした。

「プロのキーボード奏者になる」

ピアノを小学3年生から習い始め、4年生の時に川崎を本拠地に活動していた少年少女合唱団に参加しました。毎週日曜日は一日中、合唱団で過ごした原のり子さんの居場所でした。学校でいじめをうけていたときには、合唱団が心の支えで、本当に救われたと話しています。
この合唱団で素晴らしい先生と出会い、「プロのキーボード奏者になる」と将来の夢を決めました。

 

日本共産党と出会い、視野が広がる

高校卒業後、プロ養成コースのある音楽院と法政大学に進みました。音楽院では、曲をアレンジして、先生に褒められ順調でした。いっぽう、大学で民青同盟や日本共産党の活動に加わり、ものの見方、社会の仕組みを学ぶうちに、音楽で食べていくことがすべてではないと、進路を見直しました。

 

社会を変える。それを仕事にしたい

大学を卒業してから、「保育のことをもっと知りたい」と保育専門学校に通いながら、共産党の事務所でアルバイトをはじめました。社会のことを学び、地道に活動する共産党員の姿を見て、保育士とは別の道だけれど、子どもたちが幸せに生きられる社会を作りたいと、共産党の職員になりました。

 

東久留米市議会議員に

原のり子さんが3人目の子どもが生まれ産休中に、東久留米の市議会議員に立候補してほしいと話がありました。自分ではタイプではないと半年ほど悩みましたが、「できることはやっていきたい」と挑戦する決意をかため、1999年の市議選に立候補し初当選、それから17年間、子育てしながら議員活動をしてきました。

 

政治信条は「政治を動かしているのは市民」

保育園民営化反対の取り組みのなかで、若いお母さんが「原さんはいつも一緒に考えてくれる」と言ったことがありました。教えてくれる、とか、代わりにやってくれる、ではなく一緒に考え、取り組む存在と認めてくれたことが本当にうれしかったと原のり子さんは言います。
口先でうまい質問ができても行政当局の姿勢はほとんど変わりません。市民の粘り強い運動、市民の声があったからこそ制度や施策が改善することを実感します。

 

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